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範士十段松尾公雄先生をお迎えしての講習会風景

 私共の練習道場・広島県立体育館『武道場』は[広島城]の目の前にあります。

この城は広島市を流れる「大田川」のデルタ上に築かれた平城で、中国地方屈指の名城でした。1589年(天正17年)毛利元就により起工され、関が原の戦後、福島正則が入城いたしましたが無許可改修のかどで改易されその後「赤穂浪士」で有名な浅野の本家「芸州浅野藩」として明治維新まで存立いたしました。

「廣島城」の名称は自然の「廣い島」に築城したことによると言われますが、愛称として何時しか鯉の城すなわち「鯉城」と呼ばれるようになりました。たくさんの「鯉」がお堀に住んでいたからとか、この付近の海が「己斐」と呼ばれ「己斐」が「鯉」に通じるからとか言われますが、それ以来「広島」の地は「鯉」=「カープ」との深い縁が出来ました。

 今でこそ「武道場」は大手門の外にありますが、当時の城の郭からすれば外堀の内側の「三の丸」に当たり正に「鯉城」の場内に位置しており、この場所からの出発の意味をもって現在「鯉城会」と呼称させていただいております。

 

会長 小松 一雄

鯉城会について

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